※この記事は、山陰・京都旅の後に「おまけ」として追記した記事です。
雑談としてお読みください。
2020年11月13日(金)
山陰・京都4泊6日の旅を終え、私は関空からピーチで成田に降り立ちました。
最近ピーチは第1ターミナルに移りました。
タラップを降りてバスでターミナルビルへ入ります。
時刻は21:30頃です。
久々の第1ターミナル
ここに来るのは何年ぶりでしょうか。
最近は羽田や成田第3が多く、国際線もほとんど第2でした。
本当にいつだかわからず、下手すると20年くらい経ってるかもしれません。
そんな気持ちから、ふと「第1ターミナルの出発ロビーを見てみたいな」と思いました。
大昔の記憶
初めて成田の第1ターミナルに行ったのは、たぶん中学生の頃。
父が海外出張から帰ってくるのを迎えに行った時だと思います。
「到着ロビーを出た道路沿いに機械があって、それを操作すると離れた駐車場にある電光掲示板に表示できて、それを見たドライバーが迎えに来る」というシステムがあったような気がします。
あいまいな記憶ですけど。
カッコいいイメージ
自分で初めてここから出発したのは、大学4年の豪州旅。
たしか制限区域に入るとエスカレーターを降りて行ったかと。
TVドラマでも、エスカレーターを降りていく人を見送る場面が出てきた覚えがあります。
そして南ウイングと北ウイングが斜めに広がる形。
高い天井のフロアーに、エコーのかかったアナウンスが響く。
海外旅行と飛行機のカッコいいイメージそのものでした。
国際線出発ロビーへ
そんなカッコいい国際線出発ロビーを久しぶりに見てみたい。
この日はそう思って、出口ではなく「国際線出発」と書かれたエスカレーターを上りました。
そして私はここで衝撃の光景を見ることに…。
出発ロビーは真っ暗?
もちろんわかってました、関空を出る時も、成田に着いた時も。
今の成田は私が知ってる成田ではない。
でも「久しぶりだな…、最初に来たときは…、あの時は…」と思い出してるうちに、ふと「エスカレーターを上がればあのワクワクする光景が見れる」と一瞬思ってしまったのです。
しかし、エスカレーターを上りながら気づきました。
「あっそうか、そうだっけ。今は国際線の出発便なんかほとんどないんだから、真っ暗かな」
そして「この時期に用もないのに出発ロビーなんて行っちゃいけなかったのかな」と後悔し始めました。
全灯の照明とディスプレイの動画
いいえ、真っ暗どころか照明は全灯でした。
まぶしいほどに明るい。
そして、巨大なディスプレイには派手なPR動画がずっと流れています。
無人
しかし、無人…。ガラーン。
スタッフも乗客も誰もいません。
カウンターは全て閉まっています。
しばらく呆然と立ち尽くす私。
やっと清掃スタッフが1名、そして外国人乗客らしい人が2人。
出発案内ディスプレイ
南ウイングの出発は3便表示されていますが全て欠航。
北ウイングは白紙です。
世紀末の光景
世界中で大変なことが起き、世の中は変わってしまった。
みんな消えてしまって、ここに居るのは私だけ。
照明やディスプレイは動いているが、誰もいない。
人類は滅亡してしまったのか。
「誰か、誰か居ますかあ?!」
そんな世紀末の光景を見てしまった気がしてしまい、急に怖くなってきました。
到着ロビーへ
早々にエスカレーターを下りて到着ロビーへ。
そこにはピーチで到着した乗客が少しいました。
鉄道の乗り場に行けばコンビニも営業中。
「ああよかった。地球は無事だった」
成田は別世界
少し大げさに書いてしまいましたが、一瞬背筋が寒くなったのは本当です。
きらめくほど明るいフロアーなのに誰もいない異様さ。
「ああ、こういうことになるのか」と思いました。
また感染者が増加しているとは言え、緊急事態宣言の頃に比べれば、最近の街は平常とあまり変わらない姿になっています。
でも、成田は別世界でした。
8月の羽田第3ターミナル
今年8月に羽田空港に行きました。
その時の第3ターミナルも閑散としていました。
しかし、数便は発着していて一部のカウンターは開いてましたし、スタッフと乗客は百人以上いました。
この日の成田は人がほぼゼロで、空気が全く違いました。
これから
これから何が起き、私たちはどこへ行くのか。
いや、これ以上は何も起きず元に戻るのかもしれない。
でも、2020年の成田のこんな姿を誰が予想したでしょう。
早く元のカッコいい成田に戻りますように。
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