初めての海外旅行
私の初めての海外旅行の話をします。
30年以上前、時代は昭和です。
押入から当時の資料が発掘されて、とても興味深い代物だったので、記事にすることにしました。
「昭和の海外旅行はこんなだったのか」と、レトロの香りを感じるつもりでお読みください。
突然の朗報
初めての海外旅行は、大学4年生の時でした。
当時は「卒業旅行が初海外」という人が多かったと思います。
私もそうなるはずだったのですが、卒業旅行は2度目の海外旅行になりました。
その知らせは本当に突然、飛び込んできました。
ちょっとしたイベントで、賞品として「オーストラリア シドニー4泊5日ペア旅行」が手に入ったのです。
卒業旅行は2月の予定でしたが、その直前の1月に行くことになりました。
珍道中
シドニーには、家族2人で行きました。
2人とも海外はもちろん、飛行機も初めての珍道中。
家族は往路の機中で、「飛行機ってソファみたいのがあって、そこでゆったり過ごすのかと思ってたけど、狭いのね」と言っていました。
あとでそれっぽいエピソードが出てきます。
ジャルパック
個人旅行はまだ少数派の時代。
ANAが国際線定期便の運航を開始したのは1986年です。
ですから当時「海外旅行と言えばJAL」、そして「ジャルパック」は海外団体旅行の代名詞でした。
私たちもその「ジャルパック」。
でも、いわゆる添乗員が旗を振る団体行動ではなく、「現地係員がご案内のパック旅行」でした。
成田は団体専用カウンター、現地空港で係員と待ち合わせしました。
「旅のご案内」がスゴイ
事前に小冊子が2冊届きました。
「旅のご案内」と「Koala」。
旅の注意事項や現地情報が書いてあります。
この内容が昭和っぽくて、今読むとかなり笑えます。
中身は後半の記事でご紹介します。
成田は第一ターミナルのみ
まだ第二ターミナルはなく、国鉄は成田駅までしか開通していません。
成田空港問題は未解決で、空港に入るには厳重な検問が行われていました。
そんな時代です。
搭乗券
チェックインカウンターには「ジャルパック」「ホリディ」「ルック」などパックツアーの看板がズラリと並び、団体専用カウンターでパックツアー客が列を作っていました。
画像をご覧ください。当時の搭乗券です。
上が成田で発券した往路です(JL771便)。
乗継便と二段になっています。
まだ直行便が少なく、乗り継ぎが多かったからでしょうか。
ゲートNO.は手書きですね。
そして「SMOKING」の文字が…。機内は喫煙可でした。
下がシドニーで発券した復路です(JL772便)。
カンタスのカウンターで発券したんでしょうね。
とても簡素なつくりです。
そして丸いのは燦然と輝く「ジャルパックワッペン」。
これを胸につけて、シドニーの空港に堂々と降り立ちました(笑)。
離陸時の加速にビックリ
初めての飛行機、初めての離陸。
エンジン全開で滑走を始めた時、全身がシートに押しつけられるような加速を感じて、ビックリしたのを覚えています。
(2度目からはそれほど加速を感じなくなったのはなぜだろう?)
フワッと浮いたかと思うと、それまでガタガタうるさかった滑走の振動と音が途端に静かになったのが不思議でした。
「スチュワーデス」
よく覚えていませんが、シートベルトも機内食もトイレも初めてですから、さぞかし戸惑っただろうと思います。
でもまあJALの日本人「スチュワーデス」だから、大丈夫だったんでしょう。
まだ飛行機に乗ったとこまでですが、長くなったので記事を分けますね。
次回は現地の様子です。
つづく
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